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第 2展示館

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第2展示館「民族の試練」館は、1860年代から1940年代、すなわち開港期から日帝強制占領期までをテーマにしています。変化の波が押し寄せた開港期と近代的な自主独立国家へ発展するための改革期を経て、韓民族の長い歴史が日帝の侵略によって断絶し、国権を喪失した日帝強制占領期当時の試練を見ることができます。また、現在まで続いている周辺国の歴史歪曲の現場も目にすることができます。

開化期の電車の再現· 演出模型
image アメリカ人コールブランが設立した漢城電気会社は1898年東大門発電所を建設し、西大門と清凉里を結ぶ単線電車敷設工事に着手、1899年5月に開通した。
当時の運行時間は1時間ぐらいだったという。1900年には京仁鉄道が開通し、鉄道の時代へと立ち進んだ。
天然堂写真館の再現模型
image 1907年ソウルで開店した天然堂写真館は韓国人による最初の写真館である。
名高い画家でもあったオーナーの金圭鎮は写真館の1階にアトリエを設け、写真撮影の傍ら絵の鑑賞をもできるようにした。
『独立新聞』創刊号 / 1896
image 韓国初の民間発行のハングル新聞の『独立新聞』創刊号。
徐載弼によって1896年4月7日創刊一号を出し、1899年閉刊した。
ヨコ 22cm×タテ33cmのタブロイド判サイズの4面構成であり、第1〜3面まではハングルで、第4面は英語で書かれていた。
乙巳勒約全文 / 1905
image 1905年11月17日特命全権大使伊藤博文の強い圧迫を受け、締結した国権被奪条約の全文である。
外務大臣朴齊純と特命全權公使林權助の名義になっている。これによって韓国の外交権が剥奪され、統監が置かれることになった。1905年乙巳年に強制に締結させられたために韓国では「乙巳勒約」といい、日本では「第二次日韓協約」という。
乙巳勒約演出模型
image 日露戦争の講和条約であるポーツマス条約( 1905年9月5日)により韓国に対する優越権をロシアから承認してもらった日本は11月9日、特命全権大使として伊藤博文を韓国に送り込み、韓国の外交権を取り上げる条約締結を強要した。
この模型は1905年11月17日特命全権大使伊藤博文が慶運宮( 現在の徳寿宮)重明殿に大韓帝国の官僚を集め、条約を強要する状況を再現したものである。
日本が収奪した生活用品
image 日本は太平洋戦争を遂行する過程で不足した物資を調達するため、いわゆる「供出」という名目で真鍮製の灰皿、巫女の鈴、焼きごて、食器などまでも収奪した。
創氏改名を表す戸籍
image 1939年朝鮮民事令が公布され韓国人に対する日本式創氏改名が強要された。写真は京城府鍾路区明倫町29番地に住む洪順龍家族が弘山に創氏した戸籍である。
皇国臣民の誓詞を書いた小石
image 1937年10月「皇国臣民の誓詞」が制定されたが、これは児童用皇国臣民の誓詞を小石に書いたものである。左側には尋常小学校6年生、琴基東と書かれている。
日帝強占期、独立運動家が投獄された刑務所の演出模型
image 日帝強占期の刑務所は抑圧的な殖民統治の象徴的機構であった。
朝鮮総督府が設置した刑務所は全国に20箇所に及んだ。独立運動家たちは日帝の警察によって監視、連行されては想像を絶するあらゆる拷問を受け、引いては刑務所の中で殉国する人も多かった。
しかしこのような厳しい弾圧にも挫けず、韓国人の独立運動は粘り強く続いた。