東海

東海は、韓国の東側、日本の北西側、ロシア沿海州の南側に面している海域である。この海は古くから「東海」、「朝鮮海」、「日本海」と呼ばれていた。それが1929年國際水路機構(International Hydrographic Organization)が発行した『海洋と海の境界 Limits of Oceans and Seas』S-23で「日本海」という名称が使われて以来、国際社会でこの名称が使われてきた。この海名呼称問題も日帝強占期を経ながら国際社会で日本の主張が標準として採択された場合である。

韓国政府は1992年第6次国連地名標準化会議、1993年国連経済社会理事会本会議、1994年第17次国連地名専門家グループ会合などで、本格的に国際社会に「東海」表記の必要性を力説してきた。現在韓国は2千年以上も使われてきた「東海」と日本の主張している「日本海」の併記を要求している。韓国はDong Haeではなく、各国の言語で「東海」の意味に当たる翻訳語の名称を使ってくれるよう、要請している。「東海」という意味に込められている韓国人の深い情緒を尊重してほしいということである。
アメリカとイギリスの地名委員会は、現在共通語の英語で最も多く通用されている一つの地名をすることを原則としているのであるが、徐々に各名称を使っている人々の情緒を尊重し、複数の地名を使おうという主張が支持されつつあるのが流れである。
外交通商部の2009年の調査によると、87ヶ国の地図944個(地図の本592巻、地図142枚, 教科書169巻, 地理附圖41巻)で東海を併記または単独表記となっている。東海の表記率は28.07%、日本海の単独表記は65.89%、表記なし及びその他の表記が6.04%である。以前として「日本海」の表記が多くを占めているのが現況である。しかし、東海の表記率は2000年 2.8%、 2005年10.9%、2007年23.8%へとひっきりなしに増えてきていることを考え会合わせると、今後の展望が必ずしも暗いわけではない。
これに対して日本は、「Sea of Japan」(または同じ意味の各言語の表記)が19世紀半ば以前に、すでに自国の意思とは関係なく、国際的に定着している名称として使われてきているので、他の名称は必要ないと主張している。
しかし、日本のこのような主張は成り立たない。その理由は、19世紀半ば以前に「日本海」は東海だけでなく、日本の東側の海、すなわち太平洋側の海を意味する名称としても使われていたため、日本の主張のように「すでに国際的に定着している名称」 と見ることはできないからなのである。
つまり、山下存統の「閻浮堤圖附日宮圖」(1808)、 高橋景保の「新訂萬國全圖」(1810))、 阿部喜任の「万国全図」(1838)、箕作省吾の「新製輿地全圖」(1844)、白井通氣の「新訂万国全図」(1850)、杉田玄端の「地學正宗圖」(1850)、工藤東平の「沿海要彊全圖」(1851)、 橋本玉蘭齋 「万国輿地分図」(1855)、岡田春燈齋の「万国輿地略図」(1858)、「明治改正万国輿地分図」(1870)などには「日本海」が東海ではない、日本の右側の海の名称で表記されている。これらの地図には共通して「朝鮮海」と記されている。
これとは異なり、マテオリッチの「坤輿萬國全圖」のように、東海のことを「日本海」と書いているのも少なくない。
一方、韓国の古文献と地図、すなわち「三国遺事」(1281)、「三国史節要」(1476)、「新增東國輿地勝覽」(1481) などには「東海」と表記されているもの多い。

要するに、地名や海名は政治的、歴史的、または自然的な特徴によって形成されるもので、関係国間の約束である。韓国の海洋主権の及ぶ海に韓国の歴史と情緒が盛り込まれている名称を国際社会から公認を受けられずにいるという現実は、果たして韓国が日帝強占の歴史からはっきりと解放されているのか、という疑問が湧いてくる。
このように、東海の名称を国際的に公認される問題は、独島問題とともに、韓国の領土及び領海の主権を確立するために、必ず解決しなければならない課題なのである。